平成21年2月県議会定例会一般質問新田耕造オフィシャルウェブサイト
平成21年2月県議会定例会一般質問(質問日:平成21年3月16日)通算7回目
質問の第1点目は、定額給付金についてであります。
最近めずらしくTVニュースで人々の喜んだ顔を見ました。定額給付金をもらった人の笑顔でした。
定額給付金の財源を確保する国の関連法案が三月四日に成立しました。支給開始時期は自治体によってばらつきがあり、年度内の支給開始は厳しい状況であると報道がされております。本県の市町でも、過日の新聞報道によりますと、三月下旬から四月中旬までに支給に必要な申請書類を世帯主に発送し、支給開始は四月中旬以降になる見通しとのことであります。
私は、新聞の本県の市町の支給開始時期一覧をみて暗澹たる気持ちになりました。「悪しき横並び意識、事務が繁雑だ、余計な仕事をしたくないという役人根性」を感じ取ったのは私だけではありません。
一般住民から素朴な質問がありました。「一人1万2千円65歳以上と18歳以下は2万円を世帯ごとに配る。これほど単純明快な仕事の何が難しいのか?もっと複雑な税金は勝手にちゃんと計算して取るのに、やり方は違っても台湾、オーストラリア、フランス、米国でも行われているし、何がそんなに問題なのか?要はやる気、出来ないのではなく、やらないのではないか?」私も思わず同感いたしました。
民間の会社で同じような仕事で準備が出来ていない場合、これは明らかな責任問題になります。そうならない公務員、だから公務員の給料は高いと民間から言われる所以なのです。
「決まったことならば少しでも早く」というのが公僕としての役人の職業倫理だと思いますがどうでしょうか。私は、県民から、時節柄卒業や入学があり「早く支給してほしい」との声を多く聞いております。この構想は昨秋から論議されており準備の時間は充分あったはずですから、市町としては、速やかに支給開始できるよう準備しておくべきです。国の最終的な方針が決まっていない段階でも、自ら考えて一定の準備はできます。
実際、人口約8万人の兵庫県たつの市では、3月6日から支給を開始しています。また、人口約150万人の神戸市も3月中の支給開始を目指しております。このような例をみると、定額給付金の支給時期の早い遅いは、市町が住民生活をどのように考えているか、住民に対してどのような姿勢で臨んでいるか、顔をどこに向けているのか?住民なのか、自分たちなのか、を示しているものと思えます。
確かに要は「やる気」の問題のように思います。
私は、11月議会の一般質問で、定額給付金を支給する市町の体制づくりに対して、必要があれば県として人的支援も含めて、制度が円滑に実施されるよう積極的に市町を支援してはどうかと知事に質問いたしました。まさに今日のような状況になる恐れを感じたからであります。そして、県は「情報収集とその速やかな提供に努めるとともに、適宜、相談に応じながら、助言を行うなど、市町が円滑に事務を実施できるよう支援する」との答弁がありました。もちろん、定額給付金の支給事務に関しては、最終的には市町の判断ですが、各市町の支給開始時期の遅さをみた時、県として十分な支援をしなかったのではないかと思えるのです。
また、本年1月総理官邸に麻生総理を自民党議員会で訪問いたしました。その際、麻生総理はこの制度は自治体に実施の詳細はお任せするのでそれぞれが知恵を出してほしい、そのための事務費も出す(県全体約6億5千万円)、これをどう使うのかは自治体の判断だと発言されておりました。その具体策の一つで定額給付金にあわせて独自の地域振興策をとる市町村もあり、地元商工会議所などと連携し購入価格に一定額を上乗せして買い物ができる「プレミアム付き商品券」を同時に販売する例が多いようであります。本県では、さぬき市が「プレミアム付き商品券」を販売するとのことです。香川県の定額給付金総額約160億は相当な額であり、これをできるだけ地元の消費刺激につながるような工夫が必要だと考えますが、この点、各市町はもう少し知恵を出すべきではないかと思うのであります。
そこで、定額給付金の支給に関し、これまで市町に対してどのような支援を行ってきたのか、また、今後、少しでも支給開始を早めるために、県として市町にどのような働きかけをするのか、加えて、定額給付金にあわせた独自の地域振興策についても、市町の取組みを促すよう働きかけてはどうかと考えますが、この点についても知事のご所見をお伺いします。
質問の第2点目は、平成21年度当初予算編成の基本的考え方についてであります。
世界的な金融危機等の影響により、「100年に一度の危機」と言われる厳しい経済情勢の中、平成21年度当初予算の編成の考え方について、知事は、本議会の所信表明の中で、「先の臨時会で議決した追加補正予算と一体的に捉え、当面の景気対策に、機動的かつ切れ目のない対応を図るとともに、財政再建方策に沿った歳入確保・歳出削減の基本的考え方は維持し、限られた財源の中で、経費の一層の合理化、効率化、重点化を図った結果、方策で見込んでいた予算規模を若干上回る規模で編成した」との考えを示しました。
各都道府県の平成21年度当初予算案が出揃い、ある新聞社の集計によると、平成21年度は全ての都道府県で税収が減る見通しであります。しかし知事選のある山形、千葉県を除く45都道府県中、プラス予算を組んだのは半数以上の28府県に上っております。
知事、予算案は県民に対する政治のメッセージであります。「県も頑張るから県民も頑張って」というメッセージを発信し、勇気づけなければならない時だと思います。確かに財政再建は重要であり、これまでの知事の取組みは評価いたします。しかし、経済は生き物であり、県の財政は、地域経済の動向を踏まえながら適切な舵取りをしていかなければなりません。そして、昨今の経済情勢は、「100年に一度の危機」であります。近県の状況をみると、公共事業などの普通建設事業費で、高知県が積極財政に転じたほか、愛媛県、徳島県も1、2月の補正予算を合わせると平成20年度当初予算を上回っているとのことです。私は、こうした状況下では、民が苦しんでいるときは官の支出を増やし地域経済を下支えする、たとえ0.1%でも前年より増やし積極姿勢をアピールすべき時だと思います。
知事も、景気対策と財政再建の間で悩んだと思います。それは新聞記事でもお察いたしました、が、しかし、財政再建を堅持しました。これは結局何もしないという安易な道を選択したと批判されるのも覚悟の上と思います。そこで、景気対策の必要性が強まる中、財政再建を堅持した考え方についてお伺いします。
質問の第3点目は、海水淡水化への取組みについてであります。
今年度の渇水は長期化、深刻化しました。取水制限が124日間なされたのは記憶に新しいところであります。平成17年度、19年度、そして今年度と立て続けに渇水が起こっており、渇水が常態化しつつあると思われます。
私は、このような状況を踏まえ、平成20年9月議会の一般質問において、海に囲まれたわが県の特色を生かし渇水対策のメニューの中で唯一天候に左右されない海水淡水化について、メリット、デメリットを洗い出し、その財源も含め、この際真剣に検討してはどうかと問うたのに対して、知事は、「近年の頻発する渇水に対処するためには、さらなる方策も検討しなければならないと考えている。海水淡水化もその一つであり、既に導入している他県の状況を調査するとともに、渇水時のみに効率的な稼働ができる技術開発の可能性などについて、幅広く検討したい」との答弁をされたところであります。
これを受けて、平成21年度当初予算では、新規事業として、海水淡水化などの新たな水源確保対策について調査検討するとされております。海水淡水化については、平成6年度から数ヵ年にわたって調査検討されましたが、費用の問題で断念した経緯があると承知しております。しかし、その後、沖縄県、福岡県で淡水化施設が供用開始しているほか、中東や東南アジアなど世界各国で実用化され、海水淡水化に係る技術開発も進んでいると聞いており、改めて調査検討することは有意義だと考えます。また、財源の問題も、起債や国の補助に頼るのではなく、9月議会の一般質問でも申し上げましたが、例えば、安心するための保険として時限的な渇水対策目的税を提案し、県民の信を問うてみるなど、色々な考え方があると思いますので、こうしたことも含めて検討する必要があるのではないかと思います。
そこで、新たな水資源確保対策事業では、海水淡水化について、どのような調査検討を行うこととしているのか、知事のご所見をお伺いします。
質問の第4点目は、県立病院における医療事故の再発防止策についてであります。
県立中央病院で体外受精卵を取り違えたとされる問題、これが、本県の中核病院である県立中央病院で起こったことは、誠に遺憾であります。二度と起こしてはなりません。病院を挙げて徹底した原因の分析と再発防止策を講じなければなりません。
この再発防止策について、病院事業管理者は、代表質問に対して、「今回の事故後、確認作業は必ず複数で行うことや、作業台では一人分のみの検体を処理することを体外受精に関するマニュアルに明記するなど、受精卵の識別・管理の徹底を行い、再発防止策を講じた」との答弁がありました。確かにマニュアルの充実は重要でありますが、問題は、マニュアルや設備の問題ではなく、人の問題であります。人は間違いを犯すものです。このことを前提として、マニュアルが確実に履行され、安全管理が徹底される全体的な仕組みを確立することが不可欠であります。
先の文教厚生委員会で、病院事業管理者は、今後も体外受精による治療を継続する方針を示されました。体外受精は、不妊治療の中でも踏み込んだ治療であります。この治療の進歩は、子どもを望みながら授からない夫婦にとっては福音であります。一方で、体外受精は、生命科学や倫理の最先端の領域であり、神の領域に踏み込む新たな生命創造であり、仏教的価値観に照らしても畏怖の念を持って当たらなければならないものであります。そういう意味ではこの問題をマニュアルの問題に矮小化してはなりません。今回の事故の反省に立ち、県立中央病院の医療に対する県民の信頼を回復するためには、徹底した意識改革も求められていますがどうも不十分なように思えて仕方ありません。
他方、県立中央病院の新築移転が計画されております。このような意識の方々に新病院の建設を任せてよいものか甚だ疑問を持っております。
そこで、県民の信頼を回復するために、今回策定したマニュアルの確実な履行をどのように担保し、安全管理を徹底していくのか、県民の医療の最終の砦である県立中央病院全体の安全管理体制のあり方も含め、病院事業管理者のご所見をお伺いします。
最後に本年一月、議会より大変意義あるドイツ、フランス、イギリスの視察させていただきました。環境と都市交通の視察でありましたがそれだけではなく経済危機の今、欧州の空気を体感出来た事は大きな収穫でありました。百聞は一見にしかずであります。
そこには一言で言えば今世界を席巻しているアメリカ型でない、また日本とも違う、資本主義がありました。高い水準の医療、福祉、教育、労働者保護、長期休暇をはじめとする社会保障、伝統的社会、コンミューンを大切にする村社会的なものが今なお続いているようです。反面、いわゆる国民負担率は高く、スエーデンの70%ほどはありませんがドイツ51%、フランス62%、イギリス48%と日本の40%より高い負担であります。因みに米国は34%です。
最近、構造改革の急先鋒であったなかたに中谷 いわお巌氏の話題の書、「資本主義はなぜ自壊したのか」によるとアメリカ型の市場原理主義、グローバル資本主義は格差を拡大させ、貧困率を上昇させ、日本は世界でアメリカについで貧困層に冷たい国になっているとOECDの数字をあげて解説しています。また、同書によればアメリカのゴールドマンサックスの従業員の世界平均年俸は七千万円、他方、健康保険に入れないで病気になっても医者にかかれないアメリカ人は5000万人弱。「すべては自己責任」というアメリカの「新自由主義の思想」の結果であるとしております。
一方、同書では市場経済や西欧型民主主義を拒否した国、「キューバ」と「ブータン」の例を出して、キューバが貧しいながらも一体感を持ち、生活に満足を与えている背景には市場原理を導入するのではなく100世帯に一人のファミリードクターを配置するという医療制度などを通して社会的な繋がりを維持していることが、人々に安心感を与えていると述べております。また、
ブータンは経済効率性よりも社会や伝統、あるいは自然環境維持が優先される政策をとりGDPは1000ドル、世界で122位と低く貧しい国でありますが彼らの顔は明るく、人々の気持ちは荒んでおらないようです。
ところでこの世界を席巻しているグローバル資本主義の本家米国、米国の格差についてはノーベル経済学賞受賞者、ポール・クルーグマンの「格差は作られた」にさらに詳しく書かれております。
その米国は国家発祥から我々とは違うように思えます。人工国家と自然発生国家の違いがあるように思います。米国は自ら国を選んだひと(移民)の国、あるいはその子孫の国です。人工的国家です。いわば理屈優先国家とでも言えます。
一方、我々日本人の多くは日本で生まれたことは自分の意志ではありません。我々の親の代も殆どはそうあります。そこには古くからの独特な伝統や文化が生まれました。何代にもわたってその時々の社会に湯通しされた文化や伝統あるいは、価値観があります。人々はそれに浸かって日々生活してきました。そういう意味では同じようにギリシア、ローマからの歴史や伝統をもつヨーロッパ的な国の有り様に親近感を持ちます。
それでは我々の湯通しされた文化や伝統や価値観とはどういうものなのでしょか。「わび、さび」「もののあわれ」もそうでしょう。
ここに一例をあげれば山本七平氏の著書、「日本人とはなにか」の中に鎌倉時代、千二百年代の武士、源頼朝の甥、北条重時の家訓「ごくらくじ極楽寺との殿ごしょうそく御消息」で紹介されております。
「一夫多妻はいけない、葬式の近くで笑うな、道は相手がだれであれ自分からゆずれ、親の教訓を守れ、酒の肴や菓子は人に多く取らせろ。料理は人に多くとらせろ、服装はほどよく、大きな太刀や目立つ具足を持つな、かげぐちをするな、いやしい人でも道であったら挨拶せよ、自分を抑えて人の言い分を聞け、なるべく他人に用を言い付けるな、知っている事でも一応聞け、その歳らしく振る舞え、借りたものは急いで返せ、他人と議論するな、境界争いの訴訟はするな」などなど、これらは現代の日本人にも何か通ずる感覚であり理解できます。多分、欧米人には理解できない感覚でしょう。
「改革なくして成長なし」流行った言葉です。しかし、改革も成長もそれは自体は目的ではありません。政治は人々の幸福が目的であります。経済学は人のこころや伝統、文化は対象外です、一方政治は哲学や宗教も対象であります。
最近、私が馴染みある二つの地域である試みが始まるようです。群馬県は中学生までの医療費を無料にします。また、東京都の日の出町は75歳以上の医療費を無料にします。幸福度の地域間競争が始まっています。何れもその議会は自民党が多数をしめています。
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